ロックンロール徒然

独断と偏見による自己満音楽ブログ

ポルノグラフィティがなぜ一発屋にならなかったのかを考える(前編)

音楽界は無常、無情だ。星の数ほどいるミュージャンたちの中で日の目を見られるのはほんの一握り、しかも例え日の目を見られてもその光をずっと浴びていられるのはさらに少ない。タイアップやメディアによるごり押しで1曲当て、一躍人気ミュージャンになるも、その後のCD売り上げは右肩下がり、ライブの集客もどんどん減っていき、メディアからは見放され、レコード会社との契約も切られ、地元の小さなライブハウスから再出発。しかしメンバーとの仲もギクシャクし、客も売れた曲以外で盛り上がらない、売れたいと思っても売れない…そのうち彼らは考えるのをやめた…とまあこれは少々大げさだが、このような一発屋として儚く消えていくミュージャンは枚挙に暇がない。いつまでもオウベイベイベイしてる場合じゃないんだよ。

そんな中、一発屋になりそうでならなかったミュージャンもいる。その中の1つがポルノグラフィティだ。1stシングル「アポロ」が大ヒットしてから約15年、彼らはほとんど落ち目を経験することなく音楽シーンの第一線を突っ走ってきた。スピッツミスチルが段階的に売り上げを伸ばしてきたのに対し、ポルノは最初からドーン!そしてそのままドーン!し続けたのである。どうして彼らがここまで生き残れたのかという疑問に対する超個人的な考え…今回はそんなちょっと真面目な記事。



今回のことについてまず書かなければならないのは、やはり1stシングル「アポロ」が持つ特異性についてだろう。この曲が出たのは1999年、時は正に世紀末ゥ!である。バンドブームはとっくに終了し、小室ファミリーの台頭も終焉の兆しを見せていた。どこか先の見えない混沌とした音楽界に突如現れたのがポルノである。
「アポロ」の最大の特徴はやはりその歌詞であろう。

僕らの生まれてくるずっとずっと前にはもう アポロ11号は月に行ったっていうのに

ポルノは冒頭のこの歌詞で、時代が変わったことを大人たちにまざまざと見せつけると同時に若者に大きな共感を与えた。「アポロ11号」という非常に具体的な単語を用いることで「時代は変わってんだよ」という痛烈なメッセージに大きな説得力を持たせたのである。「デジタル仕様」「空を覆う巨大な広告塔」「地下をめぐる情報」「Eメール」…この曲には「現代社会」を象徴する単語が大量に登場し、来たる21世紀への期待もまた描かれている。技術の変化、そして人々の変化をここまで刻銘に描く曲はこれまでほとんど例が無かったのではないだろうか。

続けてそのサウンドにも注目したい。「アポロ」はいわゆる「デジタルロック」と呼ばれる部類に入る。バンドブームからの激しいギターサウンドと小室哲也が多用したシンセや打ち込みによる機械的なサウンド、その二つを組み合わせることでポルノは今までと全く異なる独自のサウンドを生み出した。このサウンドの最大の強みは「古くなりにくい」ことだろう。シンセや打ち込みは近未来的な雰囲気を醸し出す役割こそあるが、その音は時代により流行り廃りがあるためある程度時が経つとどうしても古臭さが生まれてしまう。しかしポルノはそこに、時代による変化が少ないギターサウンドをぶち込み、そこに前述のような「時代を映し出す」歌詞をのせることでその古臭さを解消したのである。

結論として、ポルノの長続きする人気の裏には1stにおいて「他となんか違う!」という強烈なインパクトを聴く人に与えたことが一つ挙げられる。ひとえに作詞した晴一と作曲したak.hommaの半端じゃない才能の賜物だろう。
しかし、「アポロ」のその強烈すぎる衝撃は同時にポルノグラフィティ自身の認知度を低下させる事態にも発展した。「アポログラフィティ」だの「アポロの人」だのバンド名を覚えてもらえない危機に直面したのである。このままいけば間違いなく曲だけが一人歩きし、当のバンドは消えてしまう可能性も十分あった。一発屋にならないためにどうしたか、後編では2nd以降のポルノの戦略について考えていきたい。